雨の日ってエモいよね

雨の日に聴くとエモい曲やらなんやらをつらつらと

愛はどこからやってくるのでしょう?

 

自分の胸に…

 

 

は、問いかけていない。

 

 

いや、でも、この曲真理をついてるなーと思うのですよ。

 

 

私はあるとき問うていました。

おじさんに問うていました。

心の中で。

 

 

ある日おじさんは言いました。

愛とは背負うもの、だと。

 

私はそれからずっと考えていました。

 

愛とは?

 

愛って何?

 

愛するってどういうこと???

 

 

 

そんなことを四六時中考えていたときに

このフレーズが頭を流れたのです。

 

 

わからないことだらけな中で、

ひとつだけ確かだと思うことが私にはありました。

 

それは、

 

自分が愛をもっていなきゃ

他人に愛を与えることはできない。

 

ということ。

 

この考えに至るまでもフローチャートのように

たくさんの思考の矢印を進めました。

 

そこは割愛するけど。

 

最近わかったことだけど、

まず、いちばんはじめに愛がうまれるときっていつかというと、

この世に生を受けたとき。

つまりは生まれたとき。赤ちゃん。

 

めっちゃわかりやすいと思うけど、

赤ちゃん産まれたら、両親はいわずとも

その親や家族や友達や親戚や、

たくさんの人がおめでとうって言いますよね。

 

おめでたいんです。

赤ちゃん。

 

赤ちゃんって、わたしたちと違って、

まだ、何にもないんです。

 

徒競走で1等賞になったことも、

英検に合格したこともなければ、

誰かにフラれたこともないし、

なんなら目もあいてないし

言葉を喋ることもできない。

 

なんにもない、まっさらな状態なんです。

 

そんななんにもない彼らは、

生まれたとたん、

なんなら生まれる前、姿形も見えていないときから、

無条件に愛されます。

 

両親によって。

その家族によって。

両親の大切な人々によって。

 

なんなら、道行く通りすがりの見ず知らずのおばさんによって。

 

彼らは、生まれただけで、

無条件に愛を与えられます。

 

そして、赤ちゃんは、

それらの愛とミルクによって育っていきます。

 

これが、愛がうまれる最初のとき。

 

 

最初って言ったけど、

その次っていうのはいつかわかんない。

 

そして、私のいう、

『自分が愛をもっていなきゃ』

というのはこのことをいいます。

 

それは、生まれたときから幼少期、

両親や周囲の人々にどれだけ愛を与えられたか

なのですね。

 

ここで、そう、

つまりは、

このとき、愛の量や重さ、ととりあえず表現するけど、

それが小さい、ないしは少ない、

人もいるってことですね。

 

そこでもう、お気づきかと思いますが(誰)

生まれてから幼少期に受ける愛は、

いわゆる『無償の愛』というヤツなのです。

 

なんにもしなくても愛される。

存在しているだけで愛される。

 

人間が、いちばん最初に

『愛とは何か』ということを、

このとき学ぶわけです。

 

当の本人は、

学んでる自覚なんて1ミリもないと思いますが。

 

そんな無償の愛を受け取り、学び、

愛を知る子供ができあがります。

 

はい、ここが序章です。

 

 

長くなりそうなので、

ここで一旦区切ります。

 

序章、愛が生まれた日。

 

 

次は、いつ書くかわかりません。

気が向いたら書きます。

まず前提としての愛、を語りました。

 

次では、その愛はこの世をどう循環しているのか。

それを語っていきたいと思います。(予定)

 

 

ご静聴、感謝します👋🏻